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年金生活の株三昧-152

◆おやおや元気が無いね、如何したの◆

 此処のところはもう慣れっこになってしまったが、何てこっちゃと云わぬばかりの相場である。慣れるということは恐ろしいことである。こういう毎日に何の違和感もなくなって行く。終には此れが正常であると認識するようになる。何時までも今の株価に居心地良く居座られたのでは幾ら長期方針の投資家でもストレスが溜まって来る。

 株式投資に限らず凡そ勝負にかかわることは先ずは慌てずに待つことを知ることから始めなければならない。逸る気持ちを抑えて時の来るのを待つ、タイミングは何時も良いわけではない。チャンスに後ろ髪は無いのである。流しそうめんは待ち構えていないと他人に掬われてしまう。素人の投資家は株式投資が勝ち負けの勝負とは縁遠いものであると誤解している人もいるがトコトン突き詰めると勝負ごとと何ら変わらないのである。長期であれば緩い勝負となり短期では激しいものとなるだけのことである。

 何でもそうだが勝つ輩は何時も冷静で為すことが如何にもシンプル且つ地味である。華やかさは何処にも無い。投資で稼ごうとすれば余計なことを考えることは百害あって一理無しといえる。集中するには余計なことは考えないのである。この辺に徹することができるかどうかが勝敗の分かれ目なのだが大体の素人投資家は安っぽい欲に絡んで余計なことに振り回される。まあ凡人は皆こんなものである

 そうはいっても年金生活での株式投資はガツガツと儲けることにはそれ程の魅力を感じない。一喜一憂し世を憂い悲憤慷慨に明け暮れるのも捨て難いと感じているのである。

 昨今倒産する上場企業が多い。景気低迷期には珍しいことではないが弱い企業が潰れることは強ち悪いことではない。企業同士は競争し、強いものが生き残り弱いものが消え去る。此れによって経済の成長は継続する。生産性の高い組織が残ることで世の中の福祉にも資することが出来るのである。行過ぎた行動、低い生産性に歯止めをかけ効率の悪い組織を一掃する、此れは不況にならなければ出来ないことである。

 株式投資をしていれば企業の浮き沈みは付きもので、生身の人間と違って瀕死の重傷を負った企業を手間隙かけて生き残させるのはビジネスの世界ではしてはならない。それがあるから経営者は頑張らなければならないのである。

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