続・経営ゴコロ-088

身の置き所が人を変える

 株式市場は惨憺たる有り様になって来た。確かに上昇する目は無さそうだ。ギリシャを始めとする欧州全体の景気に目途が付くまでは期待出来るものではない。徒に慌てふためくコトのないようにしたい。もう4年近くも前のことになってしまうが米国でのサブプライムローン発金融危機がやっと治まりかけた途端に欧州経済危機である。何れも世界的な規模になってしまうのは、アジアを始めとした新興国も所詮は米国や欧州の消費あっての成り立ちであることを知らしめられたのである。新興国の経済の底は意外にも浅いということが測らずも知れたということなのだ。

 それにしてもこの危機は何時まで続くのであろうか。リーマンショックに見られたように数年は如何ともし難いということなのか。投資家は又また長い長い艱難辛苦の日々を強いられるのであろうか。トホホ以外の何物でもない。日本国内の事情でないから尚更歯痒い思いなのである。

 しかし過酷、悲惨・・幾多の危機を潜り抜けて来た歴史を持つ民族だ、鯔の詰まりは治まるところに治まるとは見ている。欧州とは今も昔も人騒がせな国々である。

 兎も角暫くは株に手を出すことは控えたい。こんな時に儲けられるのは素人の投資家にとっては宝くじに当たるよりも難しいことだ。勝ち目の無い勝負はしないことが利巧な者の行動原則である。コトの推移を指を咥えてでも見ていよう。

 国会が開会されているのだが余り捗々しい進展は無さそうである。元々期待はしていないがそれにしても此れこそ経費の無駄遣いという外はない。彼らのミッションを少しも達成していないのに歳費ばかりは時間と共に支払われると云うのである。こんな仕組みは今時どう考えてもおかしい。彼らは成果の無いモノに対して報酬は無いという原則を知らないように見える。民間の一国民として苦労した経験が無いとこんなことになる。恥ずかしいという気さえ無いのであろう。

 電力会社、特に関西では15%の節電要請が出されるという。これは政府が決めたことらしいがそんな対症療法みたいなことばかりすべきではない。同時に代替エネルギー政策をこんな風に進める、ということを何故発表しないのだろうか。根本的な問題解決をしないで、困ったから其処を協力して呉れと云うばかりが民主党政権の常道であるらしい。これが民間の一企業のすることなら、あれは馬鹿じゃないか、で済むかもしれないがコトは国の政策の問題である。民主党政権は政権交代からもう直三年になる。幾らなんでももう少し成長して欲しいものである。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

続・経営ゴコロ-087

トコロ変わればケシキも変わる

 ギリシャには世界各国が悩まされるものだ。経済規模から云えば取るに足らない国であるが丸で梃の原理のように小さな障害が多くの危機を齎すという嫌な展開なのである。自分のことは自分で処理させろ、と言いたいが欧州というところは歴史的に見ても今の国境などは意味が無い程の経路を辿って今日まで来たのであるから極東の島国、日本には不可解なことがあるのは当然とも言える。

 それにしてもこうまで経済、金融に影響があるとなると早くユーロから脱退してしまえと言いたくもなる。そして悪材料が出尽くすのだ。勿論彼らには世界各国に大きな迷惑をかけていると云う認識など無いであろう。西洋人の考え方、哲学は東洋思想とは似て非なるモノである。そう云う異国の思想と付き合わないことには世界に打って出られないとは国際化も楽じゃなさそうである。

 さて今日の国会審議を見ていると少しずつではあるが単に消費税を上げるだけではなく同時に無駄排除、国会議員の定数是正・・等々の改革もしなければならいと考え始めたように見受けられる。手遅れ気味であるとは言え結構なことである。何ごとも自らを律せずして他人ごとをするべきではないということが漸く分って来たようだ。

 最近の商品はやっとという感じではあるが高齢者を意識するようになって来た。スマートフォンの高齢者向き製品が出て来たそうである。消費の44%を高齢者が占めているというのは些か不可解な気もするがマーケットが充分大きくなったということだけは間違いないのである。しかしマーケッティング調査の際、高齢者のホンネを上手く吸い上げる工夫をする必要がある。これは若い社員にばかり期待する訳には行かない。若い者では高齢者のホンネを掴めない。特に供給者理論に嵌まってしまっている御偉方と行動力のある若い社員とでは判断を誤る可能性が高い。ヨクヨク高齢者から直接ホンネを汲み取る工夫をすることが重要なのである。

 間違っても情報収集のやり方を、IT機器をフルに活用して直接動かず、直接対面せず、机上で作ることだけは止めるが好かろう。当然ながら高齢者は氏も育ちも異なるし、不便ということに対する対応の仕方も異なる。若い人が嫌がることでもそれ程厭わない、ということが意外にも多いのである。ともあれマーケットが大きいのであるから捨て置く訳には行かない。唯大方の高齢者はそれ程の欲は持っていない。かなり手強い市場であることを忘れるべきではない。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

続・経営ゴコロ-086

我儘こそ最も快いこと

 沖縄返還から40周年ということで賑々しく式典が行われた。基地問題は民主党政権では如何にもならないことは誰もが分かっていても一応返還に努力する姿勢は見せている。パフォーマンスだけは中々ヤル気の政権である。

 確かに沖縄は悲劇的な戦禍に見舞われ、その後も米軍の基地として様々な苦労があったことは誰しも認める。しかし考えてみればこうした地域的な問題は御上の指示を待っているよりも自分で生きる道を探ることが現実的であるように見える。

 福島の原発問題も似たようなもので要するに其処が厭なら他の地に移住するしか手はないのだ。その代り補償はたっぷりと貰い受けることは勿論である。

 我々の周りには時代の変化と共に様々な軋轢が生じることは避けられない。家畜を飼って生計を立てていた農家が周りに住宅が出来てその住民から悪臭がする、出て行けと、止む無く追い出されることは良くあることである。

 時代の変化は誰も逆らえない。住む所さえも定住し続けることが当たり前ではなくなったのである。定住することが信用の第一であった時代が長く続いた。嘗ては所謂旅の人は信用外の輩であった。旅廻り芸人は一段下の階級であったのだ。国際化に限らず国内でも地域的な際限が外れたようだ。住所不定では胡散臭いが、理由あって住まいを移動することは何の不思議もない時代である。

 津波から逃れる、汚染から逃れる、軍地基地の騒音から逃れる・・何れもハンディのある地域から脱出することは最早現実のものとなったようである。

 自由というものは本来自律、責任を伴うものだがそれらを道連れにしないのでは単なる利己主義でしかない。公務員の処遇が良すぎるという議論も自由に職業を選択出来る環境下でさえあれば余計なお節介に過ぎない。そんなに羨ましいなら自分が公務員になれば良いだけのことである。正当な試験や選抜試験によって選ばれたのであれば何も文句を言う筋合ではない。唯それはオープンでなければならないことが前提である。公平下でされたことをトヤカク言うことは出来ない。単純な妬みに拠るものでは行けないのだ。

 さて今日の株式相場は訳の分からないものになってしまっている。欧州、特にギリシャの債務問題が政治の雲行きと共に渾沌として来たことに拠るものであろうことは分かる。しかし日本が其処まで付き合いことも無かろうと思うが、それこそが経済のグローバル化ということなのであろうか。不甲斐無い日本経済である。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

続・経営ゴコロ-085

言うよりも言わない方が難しい

 又しても今日の相場は軟弱である。海外要因であることは間違いないのだが株価は投資家の心理、プロの作為的な投機に翻弄されることもまた致し方の無いところである。庶民投資家には誠に面白味が無くなった昨今の株式市場である。

 株価は作為的に形成されるものだが一部の投機家たちは外部要因、業績・・を巧みに操りながら自分たちの利益になる様に振舞うのである。これでは庶民には対抗出来ない。プロであるJPモルガンの損失もこれに失敗したからである。プロでさえ予期せぬことが起こると云うのだから投資の世界は怖いものだと言えるかもしれない。

 昔の株式投資と最も変わったのは従来のような株式だけの世界ではなくなったと云うことである。今や債券、穀物、原油、土地、その他所謂デリバティブが溢れている。何処へでも投資出来るという時代である。従って資金は何時も彷徨い歩いていると云うこと。投資物件同士の比較で一つ所に止まるコトはなくなった。絶えず投資効率の良い所を探し回って動き続けるのである。

 こうなって見ると企業業績が云々は余り意味を為さない。他に行くところが無ければ株式市場に来ると云うだけのことである。ファンダメンタルズは素直に反映されないのである。

 こういう広範囲の動きは株式投資資金だけのことではない。全ては国際化の為せる技というべきである。何ごとも日本国内では完結出来ない。経済関係がグローバル化されたのは資金の流れが情報化されたためである。ITの進歩で地球の裏へ行くにも隣へ行くにも同じなのである。

 国際化の中ではあらゆる情報の中から最も効率の良い投資先を評価選択して資金は流れる。日本の株式市場で海外投資家の投資比率が大半であると云われるのは何の不思議もないということである。昔からの株屋の発想では最早付いて行けない投資環境になったのである。それにしては庶民の投資愛好家の発想は未だ充分な切り替えが出来ていないように見える。

 震災はあったというものの日本経済はそんなに悪くない。それなのに海外要因で株価は資産価値以下の評価になっているというのはおかしいこと。おかしいことは何時か見直される筈だが、恐らく今の民主党政権ではおかしいとは思っていないのであろう。だから手を拱いて先延ばし・・、お得意の手である。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

続・経営ゴコロ-084

日本の外交下手の典型、野田ドジョウ

 最近はすっかり過激情報に苛まれてしまって少々のニュースには関心が無くなってしまう始末である。時代が変わるということはそれだけ人の生活が便利になるということなのかもしれないが、一方で危険を孕んでいることを見逃しがちである。人の欲というモノは得てして良いことにばかり目が向くのであるがマイナス面も見逃さないように心掛けなければならない。時代の変化は何時でも進歩していることではないことをシッカリと頭に入れておくべきである。

 このところ政府、電力各社は今夏の電力不足を見て節電のお願いをし始めている。確かに電力が不足するかも知れない。そのための節電は消費者の義務である、と考えるのが妥当かもしれない。しかし他の業界ではそう云うことは余り聞いたことはない。公益事業、インフラ事業ではそんなものなのかなと改めて感じる次第である。

 人の本性は当てにならないものである。あれだけ恐れていた放射能汚染も今や余り気にしなくなっている。完全に安全確認が出来た上でなら再稼働しても良いのではないかという風な方向に向かっているようである。福島原発関係の事後処理、原因究明が未だ出来ていないのに、である。こういう神経は信じ難いものである。これから出て来る天文学的な補償費用、廃炉処理・・等々、新会長、社長が決まっても何も解決してはいないのである。ヒトの噂も75日で処理済みという体裁に見えてならない。

 大飯原発の再稼働に付いては地元がこれを要請しているようであるが全く節操の無い人たちであると云わざるを得ない。地元の雇用が無くなるのは困ると云うことなのである。更には行政に落ちるカネが無くなるのは厳しいということである。そのために周辺県、市の住民が如何心配しようにも我慢して呉れと云う訳だが、こんな言い草が通ると思っているのであろうか。半径30キロ、若しくは100キロ圏内の人たちは電力が供給されているとはいえしっかり対価の電力料を支払っている。地元のように行政にカネは落ちて来ない。危険に対する不安だけを常に抱えるということである。

 一度吸った甘い汁は忘れることが出来ない。何時の間にか当然と思うようになる。そして無くなって見ると斯くも多くの恩恵を受けていたのだと気付く。世の中にはこうしたことが良くある。何時の間にかそれが当然の権利ででもあるかのように要求することになってしまう。詰まりヒトは誰でも恵まれた生活をしている内に何時しかそれが普通のことと思うようになる。人間の退化ということなのである。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

続・経営ゴコロ-083

心持ちの交換、共有は易しくない

 国会では早速審議が始まったようだ。消費税は確かにおかしい。消費税を上げること自体がおかしいのではない。手順が余りにも稚拙であるからだ。第一そんなに急いで消費税を上げても国の財政が良くなる訳ではない。景気が後退して税収自体が落ち込むだけで益々財政は困窮するばかりである。消費税率を上げることが目的であるかのような印象を受けてしまうのだ。発想が丸で幼稚なのである。

 国会議員の定数削減、歳費の削減は一体何処へ行ってしまったのであろうか。見え透いた誤魔化しは国民の政治不信に益々拍車をかけるだけである。

 一体民主党のすることは何もかもおかしいのは何故であろうかと考えてみるに、矢張り党としての基本綱領が無いということに逢着する。綱領が無いから民主党議員の云うことはブレると云うよりバラバラなのである。主流派と反主流派とされる小沢派が如何して同じ政党なのか不可解である。

 それに輪をかけているのがこれも不甲斐無い自民党谷垣政権なのである。これも学者上がりのような理論優先の党首では迫力が無い。公明党の党首にしても云うことはイッパシであるが行動が度胸に欠ける。日本の政治が次第に大学生自治会、高校生徒会に似て来ているように見受けられる。この体たらくではとてもじゃないが人生経験のタップリある高齢者には見て居られるものではない。斯くしてストレスが溜まるばかりと云う次第である。

 さて先日のニュースに拠れば、三重県知事が育児休暇を取ったと云うことである。これを微笑ましいなどと感心している場合ではないと見るのが正常である。三重県とは余程裕福で平和な県であるらしい。知事と云う役職も時代と共にではあろうが低くなったものである。低くなったということはそれだけ蔑にしても構わないのだと云うことを意味している。

 もう一つが大分市役所のお宝紛失である。これもお粗末極まりないが寄付者にも連絡しなかったのだそうである。こうまで安く見られたのでは寄付する気も起らない。担当者にはそれなりの言い分はあったらしいがそれは通用しないこと。

 この結末は誰が責任を取るのかで、興味津々と云うところである。恐らくは適当に謝って今後こんなことの無いように気を付けます、で終わると見ている。これだから日本の政治、行政は一文安く見られるようになったのだ。即刻クビにはしないものの降格か或いは市長等共々弁償する位でなければ納得出来るものではない。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

続・経営ゴコロ-082

日本は進歩も成長もしていないのか

 小沢訴訟の控訴には愕いたが訴訟側のメンツもあるということかもしれない。それにしても人騒がせなことである。今となっては如何でも良いことなのである。それよりも震災の事後処理、原発問題それに此処に来ての竜巻等の災害対策の方が国民にとってはズッと重要なのに・・何か変である。株式市場も欧州問題に曳き連られて全く良いところ無しである。

 救いは国際収支が所得収支のお陰で辛うじて黒字を保っていること位である。日本の国も輸出一本槍の産業構造が変化して来ていることが良く分かる。

 さて小沢元代表控訴に拠ってまた政局が混とんとして来たが庶民としては望むところである。兎に角政治がグジャグジャになって呉れることが興味深いのだ。こうなったらヤケクソと云うことだ。今までも期待して来たところだが結局は今の政権、政治家では何も出来ないのだということが良っく分かったのである。早く出直し選挙がやって来ないかと期待する毎日である。

 それにしても今回の控訴は一体裁判とは何なのだと思わざるを得ない。国民には益々分からなくなったのではないか。一旦は無罪、それも検察の控訴理由が不充分であることを認めているのにこれから何を持ち出そうとしているのだろうか。その間の人権は一体誰が補償するというのであろうか。これは今後国民の誰もがそう云う立場になる可能性があると思うとゾッとしない訳には行かない。

 些か穿った見方をすれば彼らはこれをメシの材料にしようとしているように見えなくもない。問題があれば商売になる。これは世間では良くあることだが争いが無ければ弁護士の仕事は上がったりということだろう。それは丁度生物と天敵の関係と同じである。何々士が飯を喰って行くためにはそれに見合った対象が適度に発生しなくてはならないということ。無くて済むなら無い方が良い、嫌な職業である。

 其処へ行くとモノづくり、販売サービス業の多くは不便を解消するために供給するという取引関係がハッキリしている。タチが良いということである。

 判決と云うモノは別に裁判に限らない。どちらかを区別するのに白黒をハッキリさせることは良くあること。裁判では白と黒しかない。黒に近い白、白に近い黒・・などはマヤカシである。慰めにもならぬ。試合に勝って勝負に負けた等と云う謂い方もあるが勝負には勝ちと負けしかないのである。引き分けは一時的な勝負の預かりなのである。勝負に負け惜しみは付きものだがそれは仲間内のことで世間には通用しない。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

続・経営ゴコロ-081

政治と言い経済と言い揃いも揃って

 国会が開かれた。何を議論するのか知らないが成果は期待出来そうにない。民主党も小沢問題を含めて野田ドジョウさんの舵取りには限界がある。成果が期待出来ないのではまた貴重な時間とカネを浪費するだけに終わる。彼らはそれで良いだろう。何故なら成果主義ではないからである。時間拘束されていれば給料は支払われるのである。パートのおばさんたちはそうは行かない。国会議員も成果主義にしたら如何であろうか。何ごとも競争社会である。国会議員ばかりが役にも立たない仕事をしている訳には行くまい。

 小沢元代表の証人喚問にはもう飽き飽きした。証人喚問などしても何の成果も無かろう。其れ位のことは庶民にもっくに分かっていること。如何にも形式的な手続きでしかないことも分かっているのである。問責も証人喚問も国会でしてみても検察で何も無かったのであれば今更という感じしかしない。出来レースと言われる所以だ。兎に角今まで国会で質疑をしたことで成果があった験しはない。質問の質が検察よりもレベルが高ければだがそんなことは望むべくもない。

 リタイアした高齢者がこのところ増加しているがその人たちの半分以上は恐らく、この程度のことなら俺にでも出来る、と考えているに違いない。政治を知らない政治家が民主党をはじめ野党にも結構いるのだということが国会議員の最近の現象を見ていると良く分かる。成果と報酬を考えると、これは民間では常識だが、矢張り報酬が多過ぎると思わざるを得ない。

 議員の定数削減などはもう何処吹く風という訳だ。報道機関も何か問題があるとそれを追いかけることはするが約束のことが何も進んでいないことを報道することはしない。要するに易きに付く体質である。これは政治家とのコンビで云えば正に破れ鍋に綴じ蓋というべきである。

 今日の株価も何と云う体たらくであろうか。海外の要因に振り回されているばかりだ。企業の業績など何の役にも立っていないように見える。これは一部の機関投資家による先物誘導投資であろうが庶民の投資家には些か不可解な動きである。分からない所に誰も投資をしようとはしない。金持ちが投資を避けて貯蓄にばかりをしていると半ば非難めいて云うのだが何のことはない、そう云う投資環境にしているのは投資関係者自身であることに気付いていないようだ。他人に注文を付ける前に自分のしていることを反省しろ、ということに過ぎない。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

続・経営ゴコロ-080

重苦しい連休明け

 今日の株価は申し訳程度に戻しているが、それにしても欧州危機は何時まで続くことやら。他人事ながらユーロ圏を何でまた作ってしまったのかと訝しさが隠し切れない。同じ欧州と云っても民族が違う。特にゲルマン系とラテン系では基本的な心持ちが違うようでそれは傍から見ていても良く分かる。フランスとドイツが同じ道を行くというのは元々無理なこと、それを上手く妥協しながら纏めて行くかはこれからもずっと続くのであろう。世界経済に迷惑をかけるのは止めにして欲しい。

 南欧諸国は緊縮策を嫌う。これは然も有りなむと納得する。元々陽気で先のことより今を楽しく、という考えでは、勤勉で今のことより先に備える、諸国には耐えられるものではない。

 ギリシャなどはユーロから離脱することが良いと見ているがこの際ハッキリとダメな諸国は切り離すことが出来るかどうかがカギであると見ている。

 ドイツはユーロ安を千載一遇のチャンスと見て海外への輸出でシコタマ利を得ているようだが何れ吐き出さざるを得ない羽目に陥ることは目に見えている。それにしても欧州とは経済規模、人口でも最早世界に占める役割は相当まで低下しているにも拘らずこの存在感は何であろうか。嘗て植民地からトコトン吸い上げた巨利を蓄えてきた国民だけのことはある。東洋の島国、日本では到底分らない世界である。国際化とは斯くも厳しいものであるということだ。

 先日の竜巻には相当やられたようだ。考えてみれば竜巻もそうだが地震、津波、台風も同じで、来ると分かっていても防ぎようが無いというのが切ない。況して原発放射能汚染に至っては全くなす術が無い。幾ら報道されようにも庶民には安全確保が出来ないとなると唯闇雲に恐れているばかりである。とても先進国とは思えないような現象である。

 津波が来れば高い所に逃げよ、海抜の高い所に移住せよ、竜巻が来たら一階のトイレで布団をかぶってじっとしていろ・・等真面目に考えたこととは思えないような解決策しか見当たらないというのである。

 こうして見ると今日本に必要なことはITの進歩とか便利な生活と云う前に身の安全をどう確保すべきかを考える方が先であることが分かって来た。安全はカネにならない時代は終了したと見ている。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

続・経営ゴコロ-079

厄介モノ、休祝日

 長い休暇の後に来るのは倦怠感のようなヤル気の無さである。休んだ後の代償はそれなりにあるということだ。

 それにしても今日の株価には驚かされる。一体何があったのだと、大きくは欧州の選挙結果であると思うが先行きの不安はますます増加するばかりである。それに日本も付き合うということだ。暫くは株式相場を見ない方が良さそうである。

 大型連休に東京へ行ってみれば人の多さに驚く。東京住在者には何のことも無いが田舎上がりの人たちにとっては圧倒されるばかりである。それがまた刺激になるので意味はあるのだが。

 ダイバーシティ東京、渋谷ヒカリエ、東急プラザ原宿など何処も彼処もこれでもかこれでもかと人が押し寄せる。こういう有様を見ると日本は一言では片付けられない社会であると感じざるを得ない。ビジネスでも東京ですることと地方ですることと同じような感覚では上手く行かないことが良く分かる。

 一々驚いたり感動したりすることは疲れるばかりで次第に無反応、無関心になって行く。恐らく日本の社会はこうしてなまじっかのことには愕きもせず勿論感動しないばかりか関心さえも示さない社会になって行くであろうことは想像出来る。厄介なことにこれを止める手立てはない。なるようにしかならないのである。せめて自分だけでも巻き込まれないように心掛けるしかないということだ。

 休みの間は政治もお休みと来た。国会議員も生身の人間であるから皆が休む時には休みたいと思うのであろうが人の生活に休みは無い。

 休みの間に原発が停止して日本では零になったそうだが避難民に休みは無い。津波のことも原発即ち放射能のことも休んでいる暇はないのだが本心は自分には関係の無いことと高を括っているのであろう。確かに当面自分が避難することはない。本音はそんなものだろう。

 危険率がどの位、安全度はどの位など庶民には全く見当もつかない。100%なのか95%なのか、交通事故と比べてどうか、分かり易い指標で示して呉れないと見当もつかない。

 竜巻もそうだ、原発もそうだ、一体発生率が如何で危険度がどの位か等を示すことが出来る仕組みを作ろうとしないのである。緊急であるにも拘らず余り進んでいるとは言い難い。政治不信は此処ら辺りから出ているのである。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

«続・経営ゴコロ-078